世界遺産の広報職員が教える京都「本当に癒されるパワースポットその③伏見稲荷大社編」

本日は仕事がお休み。しかも朝から快晴のうえ、肌に心地よい風まで吹いている。

歯痛のため、しばらくチャリンコに乗ってなかったので体がウズウズ。早速着替えてチャリンコに飛び乗り、「パワースポット巡り」へ向けて漕ぎ出した。

 

今回報告する

「本物のパワースポット第3弾」は、伏見稲荷大社

言わずと知れた、全国に3千社点在し、合祀を数に含めると約3万2千の社で祀られる稲荷神社。いわゆる「お稲荷さん」の総本宮に当たります。

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久しぶりの快晴のため、朱色の鳥居と楼門(ろうもん)が初秋の青空によく映えていました。

 

 この伏見稲荷大社は、「宇賀之御魂大神(うかのみたまおおかみ)」を主祭神に、佐田彦大神(さたひこおおかみ)、大宮能売大神(おほみやのめのみこと)田中大神(たなかのおおかみ)、四大神 (しのおおかみ)の、日本を代表する五穀豊穣の神五柱が祀られています。

 

 この宇賀之御魂は、前回の「松尾大社」編でも紹介した「天界の暴れん坊」スサノオ命の娘神と云われます。

 また、平安時代に神社に祀られている神様やその格式などが記された『延喜式』(えんぎしき)の中では、本年式年遷宮を迎えた伊勢神宮(いせじんぐう)の外宮の主祭神豊受大神」(とようけのおおかみ)と同じ神様とされております。つまり日本で一番格式の高い「豊穣の神様」なんですね。

 

 しかし、この伏見稲荷は、伊勢神宮の神様を祀っているにもかかわらず、「京都の大豪族」秦氏の創建と伝わっています。

 伏見稲荷の成り立ちを記した『山城国風土記』によると、松尾大社を創建した秦都理(はたのとり)とは兄弟である秦伊侶具(はたのいろく)が稲荷山の頂上に宇賀之御魂を祀り、その子孫である秦中家(はたなかつへ)が山麓に社殿を構えた「秦氏の氏神」と伝わっていますので、「なぜ伊勢神宮の神様が、地方豪族の氏神様に?」と疑問に思ってきますよねぇ。

 

 そもそも、天照大神(あまてらすおおみのかみ)を始祖とする天孫系(てんそんけい)の神様が祀られている伊勢神宮の神様が、京都の渡来人の末裔である一豪族の氏神と同じとというのは、少々合点がいきません。、

 しかも、この秦伊呂倶は京都を二分して支配していた「賀茂氏」(かもし)よりの養子と伝わっていますので、ここにも大神社にお決まりの、朝廷の神様と地方豪族の神様をみな親戚にしてしまって、「この地を支配するのは、神様の時代から約束されたこと、と言う理屈で人々の理解を得ていた」理論が成り立ちます。

 

 少々日本一の大社としては、神様の縁起が薄いような気もしますが、それはこの後に私が考える「京都パワースポット」理論の中で重要になってくるので今は、とりあえず流しておきます(^-^)

 

 ちなみに同じく祀られている「田中大神」は松尾大社の主祭神の「大山咋神」と同じ神様だと云われていますよ。

 

 

 さてウンチクはこれくらいにして、伏見稲荷大社のレポートを始めたいと思います。

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JR「伏見稲荷駅」の駅舎を出ると、本当にすぐ目の前に参道が続いています。私のチャリンコも記念撮影。

 

 

 交通アクセスは、電車の場合JRでも京阪でも伏見稲荷の目前に駅舎がありますので、電車で行くと間違いないです。特にJR「伏見稲荷駅」は、本当に目の前に駅舎がありますよ。

 

 車の場合は、最近参道が綺麗になったので、参道脇に200台程の無料駐車場が設置されました。平日に参詣の場合は車で訪れても何ら問題ないでしょう。便利な世の中になったもんです。

 ただし、目前を走る稲荷街道は北向きの一方通行になっておりますので、気を付けてくださいね。

 

 

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内拝殿の絢爛豪華さには、目を奪われてしまします。

 

 楼門くぐると、拝殿から内拝殿へと進みます。ここで神様に日頃の「報恩謝徳」(ほうおんしゃとく)の気持ちを込め、願い事をご祈願します。

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内拝殿から本殿を望む

 

 参拝が終わったら、稲荷山に登りましょう。この神社は「三輪大社」と同じで、山全体が御神体となっています。ここで帰ってしまうと、ご利益も半減しますよ(^_^;)

 

 拝殿から左へ抜けると、山頂へと続く階段が見えてきます。そこを登っていくと、よく伏見稲荷のCMなどで使われている「千本鳥居」にたどり着きます。

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こんな感じの奉納された鳥居がびっちりひしめく参道を抜け山頂へと登って行きます。

 

 

 久しぶりに「お稲荷さん」に参詣にきましたが、参道が綺麗になっていることと、「外国人観光客」の多さに度肝を抜かれました。

 どうも最近、日本での人気観光地「No2」に選ばれたらしく、洋の東西を問わず外国人の皆さんが、続々と駅から出てきて、参道を山頂へと登って行かれます。

 目に余るような「不良外人」はいませんが、お昼時のお稲荷さんは特に観光客でごった返し、狭い千本鳥居の参道は「肉食を主とする彼ら」の体臭で、とても「癒し」を求めて行く場所ではなくなってしまっています。

 

 私自身も若い頃に「実業家」を気取っていた時期がありましたので、初詣は必ず「お稲荷さん」に詣でたものでした。ただ人ゴミの嫌いな私は、あえて深夜か早朝に詣でていたため、恥ずかしながらこんなに人がいるお稲荷さんを知りませんでした。

 

 夜に拝登する稲荷山は、山頂まで設置してある電灯に鳥居の「朱色」が見事に照らし出され、異次元の世界に来たような、えも言われぬ幻想的な光景を醸しだし、本当に心を奪われたものでした。

 早朝の登山も、朝霧に差し込む朝日が眩しくてとても素敵でしたよ。山全体が神域ということもあり、神のふところ深くに抱かれて生きている事を実感できましたね。(^-^)

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何とか人の途切れた一瞬に、幻想的な千本鳥居を撮ってみましたが、やっぱり真昼は雰囲気が出ませんね。

 

 

 つまり、結論を言うと、

伏見稲荷への参詣は深夜か早朝に行こう。

ということです。

 

 私の経験上、24時間いつでも山頂へは登れましたので問題ないと思います。

何よりあの人ごみと携帯撮影隊の多さでは、せっかくいただいた「パワー」の効果も薄れるような気がしてきます。

 

 旅行者の方々は、ちょっと時間の調整が難しいかもしれないですけど、せっかくの京都旅行なので、何とか始発で参詣に向かうくらいのつもりで頑張って見てください。絶対損はさせないですよ。(^ω^)

 

 

 

 さて、話はまた神様の話に戻りますが、どうも私には伊勢神宮の外宮に祀られている「豊受大神」が、秦氏の氏神として祀られている理由に合点がいかないのです。

 

 神社の縁起には、「秦伊呂倶はたくさんの田んぼを所有していたため贅沢になり、ついた餅(もち)を的の代わりにして弓矢の練習をしていると、突然その餅が白鳥に姿を変えて、稲荷山の山頂に卵を産み落とした。その産み落とされた神様が宇賀之御魂大神で、伊呂倶は自分の過ちを後悔し、その神様を祀った」とあります。

 

 はぁ! Σ(ノ≧ڡ≦) ちんぷんかんぷん

 全然、伊勢神宮との接点なんてありませんやん。

 

 まぁ、詳しい学論は学者さんにお任せするということで、私の素人理論は、先にも述べた通り「大和朝廷と地方豪族が神話の中で同じ祖先となることにより、権力を維持した」という考え方です。しかも、「パワースポット理論」には、神様の縁起は余り重要ではないんです。

 

重要なのは地勢的な神社の位置関係

 

だと思うんです。

 

 あと、「朝廷」と「秦氏」と「賀茂氏」との関係。

 秦氏の氏神がなぜ二社もあるのか?。また、なぜ秦氏のもうひとつの氏神「宇賀之御魂大神」を賀茂氏から養子で入ってきた「秦伊呂倶」が、「朝廷」の大神「豊受大神」として祀ることとなったのか、京都の地図をよ~く見つめてわかったことがありました。

 

この三つの神社の位置関係には奇妙な共通点があるんです

 

 突拍子もないような話になるかもしれませんが、次回は、3回にわたって紹介した京都を代表する3大社を地図上での位置関係でお話したいと思います。

 

お楽しみにo(^▽^)o

 


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世界遺産の広報職員が教える京都「本当に癒されるパワースポットその②松尾大社」

 本日9月1は、京都市西京区の嵐山近くにある、松尾大社恒例の大祭「八朔(はっさく)祭」が盛大に執り行なわれます。

 「朔」(さく)とは、物事の始まりをあらわしますので、つまり八朔とは、旧暦(むかし日本で使われていた月を基準とした暦)でゆう「8月1日」の事を云い、これは現在の太陽暦に直すと9月1日、つまり今日になるんですね。

 江戸時代には、江戸幕府を開いた徳川家康が、天正18(1590年)8月1日に、初めて江戸城に入城した日と云われ、関東の方ではこの「八朔」の日は、盆と正月に次ぐ祝日としてご存知の方も多いと思います。
 
 そもそものいわれは、古くからこの時期になると、田んぼの稲の穂が頭(こうべ)を垂らし始め、また、きのこや果実などの山の幸が収穫期を迎え始めるため、人々は、害虫や台風などの災難を避け、稲穂や山の実りの豊穣を祈願するため、全国各地の寺社において「八朔祭」が営まれてきました。

 ちなみに私たちに一番身近にある果物の「はっさく」は、このころから食べごろを迎えるため、この名が付けられたそうですよ。(^-^)

 

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松尾の猛霊(もうりょう)と称される荘厳な松尾大社の本殿

 

さて、今回の

京都「本物のパワースポット巡り」第2弾

では、この松尾大社をレポートしたいと思います。

 

 

 松尾大社の起源は5世紀ごろまでさかのぼり、当時の京都の地を、前回に紹介した下鴨神社を氏神とする豪族「賀茂氏」と、二ぶんして治めた豪族「秦氏(はたし)」の産土神(うぶすながみ)で、京の都では古くから「賀茂の厳神、松尾の猛霊」(かものげんしんまつおのもうりょう)と云われ、あがめられると共におそれられてもいました。

 

 下鴨神社と同じく日本最古の記録書『古事記』の中においても、既に松尾大社に関する記述が見られ、京都を代表する神社であると共に、日本最古の神社の一つと云われています。

 

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阪急松尾大社駅を下車後、すぐ目の前にある参道を歩くとほどなく鳥居が見えます。

吊り下げられている枯葉は、穢(けがれ)を祓う力があると云われている「榊」(さかき)です。原始の神社では、境内の大木に榊を吊り下げることにより、神域と人の結界としており、それが鳥居の始まりだそうです。

 

 

 本殿には、主祭神(しゅさいしん)として「大山咋神」(おおやまくいのかみ)と「市杵島姫命」(いちきしまひめのみこと)の二つの御柱が祀られています。

 

 この「大山咋神」は、ここから比叡山を越えた大津市坂本にある「山王総本宮日吉大社」の「東本宮」の主祭神

と同じ神様です。

 私は、仕事関係でよく日吉大社を訪れ、先日も宮司さんからお話を伺っていたのですが、日吉大社には「秦氏」を起源とするような「謂われ」を聞いたことがないので、まさしく「寝耳に水」な話です。(^_^;)

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同じ「大山咋神」が祀られている、山王総本宮日吉大社の西本宮本殿

(写真は屋根の葺き替えに伴う今年3月24日の遷御式の日の写真)

 

ただ、両大社とも神域の奥の院に鎮座する大きな「岩」を神格化することで、「磐座」(いわくら)として祀ってあるので、元々から信仰の対象であるこの「磐座」に対して、朝廷の「万系一世」(天皇は日本を創った神様の末裔であるという考えの元、伊勢神宮に祀られている太陽神天照大神(あまてらすおおみのかみ)を頂点に、日本の神様は全て一つにつながっているという、現代最もポピュラーな神道の考え方)の神様を少々強引に当てはめた結果なのかと思います。

 

 しかし、神輿の担ぎ手である「駕輿丁」(かよちょう)の名称が残っていたり、春の例祭において神輿を船に載せる「船渡御」(ふなとぎょ)が行われていたりと、いろいろと共通する部分も多いので、今後も継続して研究が必要かなぁと思いますね。

 

 もう一方の主祭神は「市杵島姫命」。この「いちきのしま」という名前を何回か口ずさんでいると、何となく「いつくしま」に聞こえてきますよね。

 そうなんです。この神様は、広島県の厳島神社「いつくしまじんじゃ」に祀られている主祭神と同じ神様なんですね。

 

 この姫命は、『古事記』の中で天照大神の弟神で、天界の高天原(たかまがはら)を荒らしまくった天界一の暴れん坊「スサノオ命」の娘神と云われており、やはりこの松尾大社にも、地元の大豪族の産土神と、朝廷からの天孫系(てんそんけい)の神様を併祀(へいし)するというパターンがあてはまっていますね。

 また、水の神様としても有名で、その名の通り境内は、楼門をくぐってすぐの一の川や、亀の井などいたる所に豊富に水が流れ、また湧き溢れています。そして酒造りには水は欠かせないということから「お酒」の神様としても全国に知れ渡っています。 

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楼門の風景 松尾大社は、下鴨神社に比べて趣が異なり、全体的に地味だが重厚で落ち着いた建造物で構成されている

 

 

 さて、話を「八朔祭」に戻しますが、この例祭は、松尾大社の公式祭典として斎行されてきたお祭りで、先にも触れましたが、秋の収穫期を迎える頃、風雨を避け、順調な五穀豊穣、家内安全を祈ることを目的として、130年前の明治18年から始まりました。

 以前は9月1日の定日に行われておりましたが、昭和51年からは、現代人のライフスタイルに合わせ9月の第一日曜日に執り行なわれているそうです。

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本殿を拝す 写真を撮りに行った日は、八朔祭に向けての準備で、皆さん大忙しの様子でした。

 

 私が初めてこの松尾大社を訪れたのは、3年前の9月5日のことでした、当時、土、日の休日を使ってしょっちゅうパワースポット巡礼をしていたのですが、松尾大社には、全くこの日が「八朔祭」とは知らずに参詣に訪れました。

 記録的酷暑と言われたその日は、9月とは到底思えないくらいの暑さだったことを記憶しています。 日中だったので、参詣者はそんなに多くなかったのですが、境内の拝殿には、子供たちの奉納太鼓が元気よく鳴り響いていました。

 

 その日の私の目的は、御神体である「磐座」を拝することだったのですが、この日は年始を除いて年に一回しかない松尾山への入山が禁じられている日だったので、自分の運の無さにうんざりしながら、泣く泣く登山を諦めたものでした。

 

 しかし今から考えると、たまたまにもかかわらず、年に1度の大祭に訪れられただけでも十分な運の強さであり、その上、こうしてちょうど3年後の八朔祭の日にこの記事を書いていること自体に、非常に強い勝縁を感じます。

 

 

 数日前に写真を撮りに松尾大社を訪れた時も、関係者の皆さん祭りの準備に余念がなく、右往左往してられました。

 私は本殿を拝した後、3年越しに磐座を拝するため、松尾山へ拝登入山しました。

 

 拝登は、大人1人1000円という少々高い目の初穂料を納めます。また、神域のため、受付以降は写真撮影が禁止されていましたので、映像でお伝えすることができませんでした。残念です。

 

 

 さて、山内に入ると「糺の森」の時と同じように、一気に気温が下がります。空気の引き締まり感も半端ではなく、この場所が、人治の行き届かない「聖域」であることを痛感します。山内の道を一歩一歩踏みしめる度に本当に癒されていく自分を感じることができました。

 ほどなく磐座に到着。3年前訪れた時に松尾大社からいただいた「パワー」に、感謝の誠を捧げてきました。

 

 

 下山し、登り口の入口まで戻ると「霊亀の滝」があります。

 この滝からは、松尾大社の霊獣である甲羅(こうら)に奇瑞の文字が刻まれた霊亀が何度も出現したとの云い伝えがあり、滝の中腹には滝の「霊亀」を神敵から守るように天狗の顔で睨みをきかす「天狗岩」が見えます。

 

天狗

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霊亀の滝の拡大写真です。鳥居の横付近に、こちらに向かい睨みをきかす天狗の横顔「天狗岩」が見えます(見えるかな?(^_^;))

 

 以上が今回の報告です。

 本日行われている八朔祭の話は全然出てこないので、それ目的でこのブログを見た方には残念な結果になったかもしれませんね。(T_T;) すいませんでした。

 まぁ本来このブログは、本物のパワースポットで癒されたい人のために、参考になるように書いているブログなので勘弁してください。

 

 この松尾大社は、京都の神社の中でも、京都で三指に入るほど由緒正しい謂われの割に、そんなに派手な存在でもなく、普段はそんなに訪れる人もいません。

 車で来られた場合でも、すぐ目の前の駐車場に無料で停めることができるので、入山の際の初穂料以外はお金は一切かかりません。庭園を拝観するには別途500円が必要ですが。

 

 今回3年振り松尾大社を訪れましたが、下鴨神社とは一線を画した重厚で無骨な神社で、雅な平安貴族のイメージはほとんど感じることは出来ませんでした。

 私の個人的な感想ですが、「癒される」というより、「やる気」をいただき、元気になれる「パワー」を授かれるスポットかなぁと思いました。

 

 皆さんも、京都を賀茂氏と共に二分して治め、「猛霊」と称された秦氏の氏神で「やる気」のパワーを充填してみるのはいかがでしょうか。

 


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世界遺産の広報職員が教える京都「本当に癒されるパワースポットその①」

 物質の利便性に偏重した現代社会において、「こころの癒し」が見直されてきています。それに伴い、日本を代表する「パワースポット」である京都がなぜ、1200年もの長きにわたり都であり続けたのかを何回かに分けて、歴史的かつ宗教や地勢学を含めた総合的な視点から検証したいと思います。

 

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威厳ある下鴨神社の楼門

 

 京都が風水をもとに四神相応(しじんそうおう)の理論で造営された都だというのは有名な話ですね。

実際京都には、

 

北に玄武(げんぶ・山が連なり) 北山連峰

東に青龍(せいりゅう・川が流れ)  鴨川

南に朱雀(すざく・海や湖があり)巨椋池 今は干拓されていますが

西に白虎(びゃっこ・大街道がある)山陰・山陽道

鬼門の方角に大きな寺院 延暦寺

 

が配置され、その中央に黄龍(おうりゅう・都)があり、風水上完璧な大都市のモデルだと云われています。

 

 これだけでも十二分に都としての機能を果たせると思うのですが、京の都にはそれ以上に、地勢的重要地点の穢(けがれ)を払い、都の長きの繁栄を祈願したと思われる遺構がたくさん現存しています。

 

 その代表的なものが、将軍塚の存在でしょう。

 

 東山の山頂近くの京都盆地をおしなべて見下ろせる地点に、桓武天皇が平安京の鎮護安穏(ちんごあんのん)を祈念した「将軍像」を埋められた場所と伝わりますが、これは風水には関係なく、京都独自の地鎮法だと思われます。

 

 「そんな2重3重にも結界が張り巡らされ、千年以上にわたり京都を護り続けた遺構に「龍のパワー」が宿らない訳が無い」

 

 当時いろいろな悩みと将来への不安を抱えた私は、こう考えました。スピリチアルにかぶれ始めていたのもあり、藁にもすがる思いで取り付かれたかのように京都の神社、大寺院と、いわゆる「パワースポット」を廻り始めました。そしてその記録を纏めるために、ノートに書き綴っていると、ある一定の法則を見つけ出すことができました。

 

 その場所を丁寧に巡拝し続けることで、本当に奇跡のようなタイミングと勝縁で今の職を手に入れ、悩みのない落ち着いた生活を手に入れることができたと思います。

 

 これから何回かに分けて、巡礼を続けたパワースポットの場所と起源、なるべく詳しく縁の話などを交えながら紹介し、このブログを見ていただいた方々が少しでも癒され、勝縁を得ることができるならばと思います。

 ただし金運には全く作用しなかったので、よこしまな気持ちで巡拝しても全く意味がないと思いますよ。(^_^;)

 

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楼門をくぐり、舞殿から本殿を拝す

 

 正式な名称は、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と云い、有史以前から京都を治めた「賀茂氏」の産土神(うぶすなかみ)として、日本でも最古の神社の一つに数えられています。

 5月15日には三大勅使祭の一つ「葵祭」(あおいまつり)が営まれ、古来より京都では、比叡山を「やま」というように「祭り」という言葉は、この葵祭りの代名詞として使われてきました。

 

 

 古事記日本書紀にも記述があり、神武天皇(じんむてんのう・初代の天皇)東征の際、弓矢の上にとまり、熊野の国から大和の国へ案内を果たした「八咫鴉」(やたからす・サッカー日本代表のトレードマークとして有名ですね)を神格化した、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を西殿に、またその娘の玉依姫命(たまよりひめのみこと)を東殿に主祭神としてお祀りしています。

 

 この玉依姫命は、比叡山越えた山王総本宮日吉大社(さんのうそうほんぐうひよしたいしゃ)の主祭神、また、京都をまたいだ松尾大社(まつおたいしゃ)の主祭神でもある大山咋神(おおやまくいのかみ)と結婚し、上賀茂神社主祭神である賀茂別雷大神(かもわけいかずちのおおかみ)を産み落とすことになり、この産み落としの神事が大津市坂本で毎年4月13日に行われる日吉山王祭の「宵宮落とし」(よみやおとし)の神事と云われます。

 

 私の勝手な推測なんですが、自らの産土神をこうやって神話の中でお互いに結びつけることで、古来から京都の地を治めた賀茂氏秦氏(はたし)という大豪族と、大和朝廷が、この地の統治の正当性を誇示したのだろうと思いますね。

 

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 京阪本線出町柳駅で下車し、5分ほど歩くと参道である「糺の森」(ただすのもり)へと到着します。

車で行っても、参道口の真ん前に結構大きな駐車場があるので、アクセスは非常に便利です。

 この駐車場の料金は、30分で150円。1日最大で1200円なので、そんなに高い料金ではないでしょう。

 

 上の写真は糺の森の内部で、参道の真ん中には、「瀬見の小川」、東には「泉川」が流れ、外部の京都市街に比べ、ほんの50mほど中に入るだけで、3~4℃ほど涼しくなります。本当に空気が「キリッ」と引き締まるのが実感できますよ。

 高野川と賀茂川の三角州にある湿地帯で、有史以前より神域のため、2千年以上一切手つかずの自然が残っており、京の都の穢を祓い続けたパワーが森全体に満ち溢れています。

 

 ちなみに私が写真を撮りに訪れた日は、12日間の連勤と、前日に「親知らず」を抜歯して、その痛みからイライラしていたのですが、神域にいる間には見事に痛みが取れてビックしました。 摩訶不思議なようですが事実です。本当に心身ともに癒されました。

 

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糺の森を10分ほど歩くと、下鴨神社にたどり着きます。

 

 楼門をくぐり、本殿において神様に日頃の感謝の誠を捧げた後は、御手洗池(みたらしいけ)に行きましょう。

 

 

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 本殿横には、御手洗池があります。文字通葵祭りで「斎王代」(さいおうだい)が御手を洗われる池なのですが、暑い日にこんこんと湧き出る湧水に歩き疲れた足を浸すと、この場から離れる事が嫌になるほど気持ち良いですよ。

 ちなみに、この湧水が湧き出る時の泡の形をモチーフしたのが「みたらし団子」と云われています。

 

 以上が参詣の流れですが、京都に旅行で来られるかたは、観光スポットを何ヶ所も1日で回るのではなく、半日をこの糺の森下鴨神社で過ごして欲しいですよね。日程がきついでしょうけど。

 

 ベンチに座って何も考えず、ゆっくり深呼吸しましょうよ! 確実に癒されますから。(^-^)

 

 また、糺の森の入口付近には、日本三大随筆の一つ『方丈記』を著した「鴨長明」(かものちょうめい)ゆかりの「河合神社」もあります。「美人の社」として有名ですので、お帰りの際にはぜひ参詣してください。

 

 

日本史上、日本一有名な山、比叡山から、日本一の高層ビルを望む

今週のお題「私の日本一」

 

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 鎌倉時代、親鸞聖人の師僧で『愚管抄』を著した第19代天台座主 尋禅(慈鎮和尚)は、

 

「世の中に 山てふ山は 多かれど 山とは比叡の み山をぞいう」

と詠まれました。

 

 平安時代に山城の地に都がおかれ平安京となり、その鬼門の方角にそびえる比叡山延暦寺が鎮護国家の大道場として延暦寺が建立されて以来、我が国では「山」という名詞は、比叡山の代名詞だったんです。

  江戸時代になり、文化の中心が関東に移ってしまい、元禄あたりから、「山」と言えば、完全に富士山に取って代わられましたけどね。(^-^; 

  

 しかしそれまでの間、日本一の山は比叡山だった訳です。

 例えば「やま法師」という言葉は、比叡山を意味する「やま」と、僧侶を意味す方る「法師」が合わさったもので、「やま法師」と言えば、比叡山延暦寺のお坊さんのことのみを指す言葉なのです。

 ですので京都と滋賀に古くから住む人々は、今でも比叡山のことを「おやま」と呼びます。

 

 写真は、比叡山上から見渡した京都、大阪市街です。画面右には「大阪WTCビル」を、左端には日本一のビル「阿倍野ハルカス」を望むことができます。