世界遺産の広報職員が教える京都「本当に癒されるパワースポットその⑤石清水八幡宮」

 昨日の9月15日は、八幡市にある「石清水八幡宮」(いわしみずはちまんぐう)の大例祭「石清水祭」の日。

 

 この「石清水祭」は、上賀茂・下鴨両神社の「葵祭」(あおいまつり)・奈良の春日大社の「春日祭」(かすがさい)とともに、皇室から勅使が遣わされる日本三大勅祭の一つとして有名です。かつては毎年旧暦の8月15日に行われていましたが、明治17年(1884年)よりは、新暦に換算し9月15日に行われています。

 

 今日は台風が接近する中行われた

石清水八幡宮の「石清水祭」に行ってきましたので、

今回の「本物のパワースポット巡り」第5弾は、「神」と「仏」の本来の形「神仏習合」(しんぶつしゅうごう)についてレポートしたいと思います。

 

f:id:carrera1517:20130915093951j:plain

天下第二の宗廟(そうびょう)にふさわしい、皇祖「応神天皇」をお祀りする荘厳な石清水八幡宮の本殿。

 

 

 ここからはいつものウンチクが始まります。

 

 この「石清水八幡宮」は平安京の裏鬼門に当たり、開山当初は表の「比叡山延暦寺」に対し、延暦寺から分裂した「三井寺」の天台寺門派がこの男山に石清水寺を建立し、「裏の鬼門」として「王城鎮護」(おうじょうちんご)の祈願寺としての役割を果たしていました。

 

 清和天皇の貞観元(859)年、南都の僧・行教和尚が大分県の宇佐八幡宮にこもり、日夜熱祷を捧げ、八幡大神様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣をたまわったことから、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが「石清水八幡宮」の起源と云われています。

 そして朝廷は翌貞観2(860)年、同所に八幡造(はちまんづくり)の社殿(六宇の宝殿[ろくうのほうでん])を造営し、4月3日に御遷座されたそうです。

 

 主祭神は御本殿中央に第15代「応神天皇」(おうじんてんのう)祀ります。この天皇が歴史上実在が確定している最古の天皇と云われています。また、西に「比咩大神」(ひめおおかみ)、東に「神功皇后」(じんぐうこうごう)の三柱が祀られており、この御本殿に鎮まる三座の神々を総称して「八幡大神」(はちまんおおかみ)と呼ばれています。

 

f:id:carrera1517:20130915095310j:plain

頓宮から山頂まで続く石製の階段の参道を20分ほど登ると、石畳と緑の中に朱が映える楼門が見えてきます。

 

 天慶2(939)年に起こった平将門藤原純友の乱の折には、朝廷よりこの八幡大神に請願があり御神威をもって速やかに平定されて以来、国家鎮護の社として皇室の御崇敬は益々厚いものとなりました。その後、天皇の行幸や上皇の御幸は、第64代円融天皇行幸以来、実に240余度にも及び、伊勢の神宮に次ぐ「天下第二の宗廟」とも称されています。

 

 ちなみにこの「男山」は国家に大きな異変があるときには山全体が「轟く」らしいです。

 

 

 また、「石清水祭」に始まりは、「石清水八幡宮」のHPによると、

 

 「清和天皇の時代の貞観5(863)年、旧暦の8月15日に八幡大神様が男山の裾を流れる放生川のほとりにお臨みになって生ける魚鳥を放ち「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願う祭儀として始められました」。

 

と書いてあります。

 

 しかし、このお祭りのメインの祭典である、「生きとし生けるもの」に感謝し魚や鳥を放つ「放生会」(ほうじょうえ)は、「仏教」の考え方が繁栄された「仏教の行事」で、「神道」には、本来こういう行事はないんです。

 

f:id:carrera1517:20130915090813j:plain

本年地元の子供たちによって執り行われた「放生会」の様子

 

 ウンチクも終わりましたのでこの辺から再びお読みください。

 

 

 今でこそ日本では、「神」と「仏」が別の存在として考えられていますが、これは「明治時代」になり「神仏分離令」により、政治的に無理やり分けられてしまった結果のせいで、本来の日本人の自然に対する考え方や、はたまた日々の生活習慣の隅々にわたるまで、「神」と「仏」が一緒になった「神仏習合」の形が今でもしっかり息づいています。

 

 よく「日本人」の宗教観は、「結婚式は神社で行い、葬式は寺で行う」と例えられて、ポリシーの無いてんでバラバラな宗教観を持つ民族と思われがちなのですが、明治以前は「神社」と「寺院」、「神」と「仏」は同じものだと考えられていたので、実は全然バラバラなことではないんですね、思ったより最近の考え方なんですね。

 

 

 時代が明治を迎え、天皇の絶対的な「神格化」をアピールするために、新政府はこの「神仏分離令」を実施したことと思いますが、今となっては逆に、色々不都合な面のほうが多いんですよ。(^_^;)

 

 その代表的なものが、この「石清水八幡宮」のお祭りですね。

 

 古来より神仏習合の「放生会」として執り行われていたものなのが、明治以降政治的に振り回されて、何と神道には無い「仏事」にかかわらず、無理やり「神事」として執り行わざる負えなくなってしまったんです。

 

 しかも、「石清水」という名前は、大分県の「宇佐八幡宮」から「八幡宮」が勧請される以前からこの「男山」にあった天台宗の寺院の名称をそのまま踏襲しているため、神社の名前も明治時代には「男山八幡宮」と改めさせられたそうです。

 祭りの名称も明治以前はそのまま「放生会」だったのですが、現在では「石清水祭」と名称を変えているんです。何とめんどクサイで事でしょう( ̄◇ ̄;)

 

 しかしここ最近の流れのなかで、「日本古来からある宗教観が、政治に振り回されるのは良くない」という思いから「神仏習合」への回帰の活動が、活発になって来ています。

 

 この「石清水祭」でも、おととしの平成23年に「東日本大震災から一日も早い復興の祈願」という理由から、比叡山延暦寺の僧侶が出仕し、合同で法要を執り行い、約140年振りに本来の神仏習合の形で「放生会」が執り行われるとなりました。

f:id:carrera1517:20130915082641j:plain

法要のため頓宮に入る延暦寺の出仕僧侶たち

 

 私が思うに、現在の若者の「宗教離れ」の一番の原因はこの「神仏分離令」にあると思うんです。

 

 皆さんおそらく、「神道」や「神社」は日本古来の自然崇拝として身についており、宗教的な感覚をあまり持た無いと思うのですが、「仏教」と聞くと、なんかとたんに「宗教」という色が強くなって来ますよね。

 

 しかしこれは先ほども言いましたが、明治新政府」が作った「イメージ戦略」なんです。

 日本人は本来は、古来より「神」と「仏」は同じものとして考えているのです。

場所によっては、「仏様が神様に姿を変えて日本をお創りになった」という「本地垂迹」(ほんじすいじゃく)の考え方を今だに持っていいる地域もあります。

f:id:carrera1517:20130915093122j:plain

参道を登りきると楼門がそびえ立つ。

「源平の合戦」の屋島の戦いにおいて、源氏の若武者「那須与一」(なすのよいち)が「鏑矢」を放つ時、「八幡大神」と仏教の「菩薩」を同一視し「南無八幡大菩薩」と唱えたと云われます。

 この一説からも人々の信仰のなかに、「神仏習合」の考えがあったことを感じられますよね。

 

 

 このように、仏教の伝来以来1000年以上にわたり、私たちのご先祖さまの生活に溶け込んできた信仰の形が、たった150年くらい前にいきなり政治的に別けられてしまいました。

 私は今頃になってこの「しわ寄せ」が、若者の宗教離れとして現れているのではないかと考えるのですね。

 

 憲法上「政教分離」の原則がありますので、詳しいことは興味を持った人達が学んでいけばいいと思いますが、

 

 せめて学校の授業で、明治時代以降の「神仏分離令」により、「神」と「仏」は別けられてしまったのであって、本来の日本人の生活の中には「神仏習合」という、「神」と「仏」は同ものとして溶け込んでいる」

ということだけでも教えることができると、若者たちも「宗教」や「お寺」について、もう少し違った形でアプローチできるのではないかなぁと思います。

 

何とか教化していきたいものですね。

 

f:id:carrera1517:20130915101318j:plain

本殿での参拝を終え参道を戻ると、山麓には越天楽の音色が響き、「頓宮」で「舞」が奉納されていました。

 

 

  石清水八幡宮へは、京阪電車「八幡市駅」で下車後すぐに参道の鳥居が見えます。

 同じく「八幡市駅」に隣接して、結構大きい目の「市営駐車所」がありますので、車で出かけても安心ですね。駐車料金は、1時間で200円やったと思います。

 

 「八幡宮」の表正面「一の鳥居」から、山頂の本殿までは私の足で約20分ほどかかりましたから、普通に30分もあれば山頂まで拝登することができます。 駅から「ケーブルカー」も出ておりますが、せっかく「パワー」をいただきに来たのですから、散歩がてらに歩いて登っていただきたいものです。

 

 山頂に向かい歩き出すと、本殿を含む全摂社が「男山」の山内に点在しておりますので、他の「大社」の豪華さに比べると神域が「かなり地味」な印象を受けます。

 しかし山頂までの参道には、すべて「石畳」がビシッと敷き詰められおり、しかも掃き清められております。

この神社は「武神」の名が表す通り、女性的な「美さ」はありませんが、一見地味だが「質実剛健」で、「スーツの裏地にこだわる男」ような「ダンディズム」が溢れる神社でした。

 

 台風による雨が一瞬だけ止んだ晴れ間に、森の自然と石畳がキラキラと光り、癒された時間でした。(^-^)